被害者:森本直樹(事故当時21歳神戸大学4回生、死亡時22歳・長男)
加害者:奥野美歌(事故当時21歳関西学院大学3回生・女性)
事故日時:2002年10月28日月曜日、午後8時30分頃
発生場所:兵庫県芦屋市上宮川町9番7号(国道2号線)
被害車両:スズキBandit 250cc
加害車両:ホンダフィット
書類送検:2003年3月3日
副検事交代:2004年2月9日
公判請求:2004年3月15日
刑事裁判初公判:2004年5月13日
刑事裁判判決:2005年3月9日 禁錮2年執行猶予5年
民事裁判:2006年6月13日第一審初公判(大阪地方裁判所)
第一審判決:2007年10月2日
第二審判決:2008年5月27日(大阪高等裁判所)
事故現場交差点に西から東に青信号にしたがい直進進入した被害者バイクに、同じく青信号で東から進入して北に右折しようとした加害車両が衝突。
衝突箇所は加害者から見て右フロント部分であることから早回り右折をしたことは明らかであるが、公判中に検事に要請して実現した鑑定が「加害者側に偏った恣意的なもの」で(検事は衝突の角度を求めるように嘱託しているが、角度は科学的根拠なく加害者の供述に基づいた調書添付図面を測った60度。検事から依頼のない被害者バイク速度を延々と計算し、科捜研よりも大きく上回る速度を算出している。それも2度の鑑定で結果が異なるといういい加減なもの)、刑事判決では早回り右折が認められなかった。判決は加害車両の衝突部位の左右を誤認したものであった。民事裁判においては、新たに鑑定を依頼して衝突角度は45度以下で「極端な早回り右折」を主張したが、刑事裁判での鑑定は信用できないとしたものの、写真や道路勾配の誤差などにより不正確であるとして、双方の鑑定ともに採用されなかった。
加害者は事故直後から、対向に3台の車が停止しており(警察官には事故直後はバイクが赤信号無視と言っている)その間からバイクが現れ、クラクションの音で気付いてブレーキを踏んだが間に合わなかった、と主張。記憶が非常に曖昧にもかかわらず、最後までこの主張は変わらず。
警察の初動捜査では、加害車両のすぐ後方を走行していた車両運転者の目撃と信号周期からバイクは明らかに青信号とされる。しかし、加害者はこれを認めず「まったく反省の色が見られない」(担当捜査官の言)ため厳しく取り調べたとのこと。
被害者遺族の独自捜査の結果、被害者信号そのものを見ていた目撃者も現れ、加害車両が方向指示器を出していなかったと証言する目撃者も現れた(方向指示器に関しては刑事裁判では捜査されなかったが、民事裁判第一審判決では方向指示器を出したことは信用できないとされた)。
加害者は保険会社にもバイクの赤信号無視を強硬に主張していたため、保険会社からのコンタクトはまったくない。
加害者は関西学院大学上ヶ原キャンパスに加害車両で授業を受けに行った帰りに事件を惹起したのですが、上ヶ原キャンパスは全面的に自動車通学が禁止されていました。駐車場の確保に関わらず、自動車で通学すること自体が禁止されていたのです。それを守らずに加害者は事件を起こしたのです。
加害者は、奥野製薬工業株式会社代表取締役社長奥野和義氏の長女であるが、謝罪が一切無いどころか、初めて検察庁に呼び出された2003年5月直後に海外(カナダ)へ留学。神戸地検尼崎支部の担当寒川副検事は「忙しい」を理由に2003年12月までほとんど捜査を進めず、12月に加害者を呼び出そうとした時点で初めて海外留学に気付いたとのこと。しかし、加害者の弁護人の談によると、その時点で家族が加害者を海外から呼び戻しましょうか、と言ったところ、「帰るまで待ちます」との返答をしたらしい。この副検事は加害者側の圧力を受けていたのではないかと疑いたくなる。
被害者遺族が2004年1月8日に副検事に連絡を取った時点で加害者の海外留学を知らされる。しかも海外留学の詳細については「時効の関係で書類が手許になく、分からない」との返事。
副検事の仕事に疑念を抱いた遺族が、依頼をしている松本誠弁護士に相談し、大阪高等検察庁の検事長宛に上申書を提出。2004年2月9日に事故は神戸地検本庁に移送され、例外的に公判部の正検事が捜査を担当、3月15日に神戸地裁に公判請求がなされ、加害者の実名でのTVニュースが流れた。
事故発生から実に1年5ヶ月を経ての公判請求となった。
初公判は2004年5月13日。判決は2005年3月9日。合計9回の公判が開かれた。
求刑は禁錮2年。判決は禁錮2年執行猶予5年。
加害者一家は芦屋人黒帯というウェブマガジンの2007年7月16日号で紹介されています。2007年6月19日に民事裁判第一審で加害者を証人尋問しています。この前後にウェブマガジンの取材を受けていることになります。記事はすでに削除されていますがキャッシュをこちらにリンクしておきます。娘が人を殺した裁判のピークにこのような取材を受ける母親って、私には理解不能です。