刑事裁判

起訴状

平成16年3月15日
神戸地方検察庁 検察官 検事 ××××
下記被告事件につき公訴を提起する。

記

本 籍  ××××
住 居  ××××
職 業  大学生
××××
昭和×年×月×日生(22歳)

公  訴  事  実
 被告人は,平成14年10月28日午後8時30分ころ,業務として普通乗用自動車を運転し,兵庫県芦屋市上宮川町9番7号先の信号機により交通整理の行われている交差点を青色信号に従い東から北に向かい右折進行するに当たり,対向直進車両の有無及びその安全を確認して進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,対向直進車両の有無及びその安全を十分確認しないまま,漫然時速約10キロメートルで右折進行した過失により,折から,同交差点を青色信号に従い対向直進してきた森本直樹(当時21年)運転の普通自動二輪車前部に自車前部を衝突させて同人を上記普通自動二輪車もろとも路上に転倒させ,よって,同人に脳挫傷等の傷害を負わせ,同年11月21日午後2時29分ころ,同県西宮市武庫川町1番1号所在の兵庫医科大学病院において,同人を同傷害に基づく外傷性脳動脈癌破裂の脳内・脳室内出血により死亡するに至らしめたものである。

業務上過失致死 罪名及び罰条 刑法211条1項前段

第1回公判 平成16年5月13日

 神戸地裁202号法廷において初公判が開かれました。傍聴希望者は100名を超え、45席の法廷には入りきりませんでした。

被告人罪状認否

 まず,私の車が原因で,森本さんのバイクと事故を起こし,森本さんが亡くなられたことについて,深く心よりお詫び申し上げます。私は,対抗車線を確認の上,向かってくる車やバイクがないと思い,右折したつもりです。それでも,結局,森本さんとぶつかってしまったことにおいて,私に過失があったのではと言われれば,そうなのだろうと思います。本件の事実関係は,認めます。

裁判官:「なんだか変な認め方ですね……」

第2回公判 2004年6月17日

 101号大法廷に変更。被告人が「亡くなられても困るし」と発言。また、11月13日に見舞いに行った理由を、被害者直樹が意識不明になったことであるにもかかわらず、被告と父親ともに、「大分回復されたから」と答え、このような重大なことを親子ともに忘れていることに憤りをおぼえました。

被告人父親の尋問から

検事:自分のところで作っている薬品の話をしなかったですか。
被告人父親:したと思います。
検事:どんな話ですか。
被告人父親:消臭剤を作っていて,二日酔いの臭いだとかアルコールの臭いに効果があるという話をしたと思います。

第3回公判 2004年8月19日

 被告人への検事反対尋問の中で、被告は明確に「私との正面衝突の事故」と発言。事故現場に花を供えたこともないと認め、花が供えられていることすら知らないと証言しました。

第4回公判 2004年9月28日

 私(直樹父)の証人尋問。被告人弁護団は司法修習生2人を含む7人でプレッシャーをかけてきました。

第5〜7回公判 2004年10月21日・12月21日・2005年2月2日

 検事から鑑定書の提出が申請され(第5回)、検察鑑定書提出(第6回)されるが、その内容のおかしさに私たちが再鑑定を要求。検事も同意し、再鑑定書が提出(第7回)されるが、同じ山崎俊一によりなされた鑑定書は、角度に関してはまったく変わらず、何らの科学的根拠のないものであった。
 検事にすれば、裁判所を待たせて提出した鑑定書を自ら「おかしい」と言うこともできず、裁判所が「早回り右折」を認定するに至らず、執行猶予を付された最大の要因となってしまった。
 山崎俊一は多くの検察側鑑定を依頼され、警察の捜査技術に関しても指導的立場にあるタイヤの専門家ということのようだが、いくら素人でもこの鑑定書の「おかしさ」は納得できるものではない。しかも、検事の嘱託事項を無視して、検事の立証活動と反対の内容のものを「無理をして」作成しているのは「恣意的」としか思えない。

 被告は第7回公判の最後の被告人尋問でも「遮蔽物」があったと自分の記憶に固執していた。

最終被告人尋問から

検事:今回の事故の状況で,どんな遮へい物があるんですか。
被告人:私がただ推測するにおいては,車が遮へい物になったと思います。
検事:じゃ,従前と同じように,3台の車が止まっとったということに行き着くわけですか。
被告人:はい。
検事:それはどうしても,その記憶から動かないということですか。
被告人:はい。
検事:それで,あなたは自分で過失を認めとるというふうに考えとるわけですか。
被告人:はい。

 この後、裁判官から「認めたんじゃないんですか」といったやりとりがあり、被告人弁護団のK法律事務所客員弁護士(元福岡高裁裁判官)の誘導に「はい」「そうです」と答えることで、表向きは認めたことになった。(実際に自分の非を認めていないことは、刑事裁判の判決確定後も謝罪は不可能としていることで明らか)

第8回公判 2005年2月14日

 論告求刑、弁論。求刑は禁錮2年。
 弁論では「被告人及びその両親は、場合によっては自己らが賠償金の一部を自弁することも覚悟している。」と述べ、執行猶予が付された理由の一部となったと推測されるが、刑事裁判後は、自弁どころか、示談の提示もなく完全に放置し、高裁での和解条件とした、TAV交通死被害者の会への寄付も拒否した。
 この弁論の中での言葉が、実刑を逃れるための「嘘」であったことが和解のテーブルで確認されたということです。

第9回公判 2005年3月9日

 判決。禁錮2年執行猶予5年(最長)。
 判決では、衝突部位の左右を誤認している。
 2005.3.23 検察は控訴せず、判決確定。

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